代理参拝の歴史・起源

参拝の歴史や起源

古代においては、参拝・参詣といえば近所の神仏に参り詣でるものでしたが、平安時代ごろから遠方の社寺にも詣でるようになりました。

平安時代末期ごろ、貴族を中心として熊野三山・高野山・伊勢神宮への参詣巡礼が盛んに行われるようになり、特に熊野詣は人気となって多くの人が参詣し、狭い山道を人々が列をなして行く様は「蟻の熊野詣」と呼ばれました。

近世になると、交通網の整備に伴い庶民の遠出が盛んになり、伊勢神宮・金刀比羅宮・善光寺などへ全国から参詣者が訪れるようになりました。

遠方への参詣には費用がかかることから、人々は講を組織し、お金を出しあって代表者が代参を行うという習慣も生まれました。

また、伊勢神宮への参詣では、道中で無一文になっても沿道の人々の援助によって旅が続けられるという「抜け参り」という風習もあり、これは、援助をした人も参詣した人と同じ御利益が得られると考えられたためです。

現在でも四国に残る「お接待」は、お遍路さんへの施しの慣習ですが、同時に、「私の分もお願いします」といった仏道への寄託を願う、代参の形の一つでもあります。

おかげ参りとおかげ犬

おかげ参りは、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣のことです。お蔭詣で(おかげもうで)とも。

数百万人規模のもの集団参拝がおよそ60年周期に3回起こり、日本全国から伊勢神宮を参詣したそうです。

中には、体が弱い、金銭面の問題などの事情があって、伊勢神宮に参詣できない人も多く、そのご主人の代わりに伊勢神宮を参詣と言われているのが「おかげ犬」です。

そのおかげ犬には、誰からも代参だとわかるように道中で掛かるお金や伊勢参りをする旨を書いたものをしめ縄で付けていました。

伊勢神宮にたどり着いたおかげ犬は、伊勢神宮の神官から竹筒に入ったお礼をもらい、ご主人の元に帰りました。

このおかげ犬は、歌川広重「伊勢参宮 宮川の渡し」や「東海道五十三次 四日市」にも描かれています。

歌川広重「伊勢参宮 宮川の渡し」
歌川広重「東海道五十三次 四日市」

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